自分に合う強力な薬みつけた

こんにちは、はにろあです(・・)

 

突然ですが、現在私は大学に通うため一人暮らしをしています。昨日母親から電話があって最近私が大学でひとりぼっちなんじゃないか、心配だよ、という旨の電話がありました。さすがお母さん、悟るのが早い。娘のことはなんでもお見通しです。その通り、私は最近ぼっち気味です。でも私にとってはその事実を知られるのはショックでした。本当はたくさんお友達がいていっぱい遊んで充実しまくってる可愛い娘でありたいと思ってしまうんですね。それに私はプライドも高いし、素直じゃありません。でも本当は相当寂しかったのか、電話しながら涙が止まりませんでした。でも苦しんでいることを知られたくないので、何とか電話が終わるまで泣いてるのを隠す始末です。自分から見るととてもカオスな状況でした。涙をボロボロ流しながらも声は上手に平然を装って返事をする。本当は母親はなんでも相談して頼って欲しいと思っていることは前々から承知のことなんですが、それでもその時の私は隠すという選択肢を選びました。

それからはおきまり自己分析タイムのはじまりです。なんでこんな性格になってしまったのか。

私は小学生の頃、全然喋らない人間でした。小学校では学年に1人くらいいる、いわゆる"声を聞いたことない子"の立ち位置にいました。「あって言って。」と言われたり「なんで喋らないの?」と何度も聞かれました。自分でも何で学校で喋らないのかわからない、家では普通に喋れるのに、ひとたび学校にくると極度の恥ずかしがり屋と化してしまうんです。でも性格は自分で言うのもなんですがおっとりしていて優しい性格だったので幸運なことにいつも友達には恵まれていました。それからだんだんと喋れるようになったのですが恥ずかしがり屋な性格は相変わらずで、小学生にもなってトイレに行きたいと言えずお漏らしするのは日常茶飯事で、それは小4まで続きました。(のちにこの正体は場面緘黙症だったんだということが分かりました。)すると小学校では当たり前のように「変わっている」を理由にいじめられました。下校前に勝手に靴を隠されて帰られたり、体育の時間に体操ズボンを下げられて恥ずかしい思いをしたり。それでも私は今と変わらずお母さんに一度も報告することもなければ辛いなどとも言いませんでした。じゃあいつからこんな性格になったんだろう、幼稚園の頃からかな?遡ろうと思ったけど自分が幼稚園児だった頃のことは全くもって覚えていない。私が知っているのはお母さんから聞いたエピソードだけ。そのエピソードというのは、友達のシャツのなかにみかんを入れて潰して遊んでたよ、とか友達の帽子を校舎の2階から飛行機のごとく飛ばしてたよ、など。おっと??ソレハホントニワタシデスカ??と耳を疑うようなことばかり。その上に恥ずかしがり屋は相変わらず。どんな遺伝子をもって生まれてきたんだって感じですね(笑)どうやら幼稚園児の時点で相当変わってたらしいです。ではその前、家族と過ごす時間に問題があったのか。よく変わっている子は親に問題があると言われるけれど、姉は自分みたいに問題児じゃなかったし、今までを振り返っても、両親はたくさん愛情を注いでくれました。習い事にも通わせてもらい困った時は必ず手を差し伸べてくれて、十分に選択肢を与えてくれました。そう考えると家族が問題でもないっぽい。じゃあやはり遺伝子に問題があるのか。この事に関しては今まで散々悩んできました。特に高校生になって将来のことを考える時間が増えて、そうとなるとやはり自分を知る必要があるので自己分析をする。結果、自分はADHDじゃないか疑惑を抱えつつ過ごすことになりました。でも自分は今まで一度も精神科に診てもらったことはないから、何も病名がついていません。そうなると当然、世間では当たり前のことが当たり前にできる人と認識されながら存在することになります。特にある程度勉強ができるとなおさら。自分もそれに応えようと自分で自分なりの目に見えない薬をつくりだしては試行錯誤しながら生きてきました。でもやはりどんなに歳を重ねていっても苦手なことが減らない。むしろ増えてる気さえする。まだ子供の時は目に見えるほど他の人との差がはっきりしてて、認識してもらいやすかったけど、大人になればなるほど同年代の友達と自分の差が気になり始める。でもはたから見れば普通の子。精神疾患の不幸な部分はここだと思います。でも最近になってADHDという言葉を耳にすることが増えました。これはラッキーなことです。精神疾患を認識してくれる人が増えるのはとても有難い。でも世の中には、診断されるまではいかなくてもADHD傾向にある、という中途半端な生きづらさをもつ人もたくさんいると思います。ADHDの症状は割と多くの人に当てはまるものが多いです。なので、ただ甘えているだけなのではないかと思われたり、自分でもそう思ったりすること少なくないです。でも確かに劣るものがあるのも事実です。ではどうしたらこの苦しみを減らすことができるでしょうか。私の場合、自分の全てをさらけ出しても全てを理解してくれる親友との出会いにはとても救われました。もう自分の中では半分くらい、薬作りが楽になったも同然です。でもそのような本当の親友と出会える確率は必ずしも高くないと思います。となると、あとは一人一人が少しずつでも理解度を高めるだけです。

こんな長ったらしい文章になってしまいましたが、これを読んでくれた人がたった数%でも精神疾患への理解度をあげて価値あるものになればなと思います\\٩( 'ω' )و ////

 

最後まで読んでくれてありがとう!